忍者ブログ
[233]  [234]  [235]  [236]  [237]  [238]  [239]  [240]  [241]  [242]  [243
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

何か大きな転機が来ると
今まで思いもよらなかった所で自信をつけるようになる
それが俺の場合顔と外観だった

単純に子供の骨格に肉付きが良かったものが
中学卒業辺りから大人の骨格になり始め
肉がたるまなくなったというだけなのに
俺の顔が変わって見えていた頃
その変化に途端に気を良くした俺は
今までと友達の付き合いを変えようと
何となく今までとタイプの違う奴と付き合うようになって
今までの付き合いが煩わしくなった

煩わしいというより、今まで内面的に見下してきた、
「人とは違う」事に自信をつけていたものが
表に表れ始めたといった感じ

都合のいい時だけ連絡をとる
まぁメールを出すか出さないかなんて俺の勝手だから
俺がこうして事実を書かない限り別になんて事はないんだろうけど

完全に縁が切れなかったのは
内面的な事で見下せる相手として残しておきたかったのかもしれない

今から思うと外観と内面と使い分けて付き合っていたって事になるのか

そういえば俺が小さい頃母親が作った話に
2匹の同じ色のウサギの片方が一時的な変化で白ウサギになり、
白ウサギの仲間になって片方を見下すが
時期が来てまた元の色に戻ってしまい、
結局2匹の仲良しに戻るという内容があった

まさにそれを再現したような体験をするとは思いもよらなかった、
となると俺は結局「外観が元に戻る(小学~中学)」という結末になるのか?

PR

少し前の記事に
男女の友情を越える同性の友情を築いた事がない、とか書いたが
それは俺と関わると必ずその場所に異性が入る為に
バランスが崩れてしまうのかもしれない

異性同士の関係は何処か友情を越えたような
親密な関係に見えてしまうのが本能か、
その場を立ち去らなければならない空気に追いやられてきた(自称)立場の俺は
いつも人間関係において二番目の存在だった
(つまり異性は必ず俺とは別の人間を選ぶ)

元々恋愛とは無縁の俺は興味すらない、
まぁ生っぽく言えば自身の快楽を得るためのネタが「恋愛」の限界

そんな俺がいる場所は
自分の居場所探しに躍起になる人間には
丁度いい手頃な場所(狙い目)といった所か
自分が入れば自然と出て行く、それを知っているみたいだ

バランスをとろうとしても
相手が「居場所探し」をしている事に直ぐに気付いてしまうのに
それでいて使いもしない場所に身を置くのは気がひける
結果、やっぱり何らかの理由をつけて出て行ってしまうクセがついた

それを「優しい」と表現されると無性に腹が立つのは
俺がその場に居難くなった為に離れただけの理由を
自身への優しさとして捉えられる
寧ろそれが自分の優しさだと、
良心の表れだと言われているような気がするから

殆どをパソコンとネットのみで引きこもって過ごしている内
自分の顔を認識出来なくなるような現象が起きる、
ゲームや漫画の顔=普通の顔になりつつある
漫画やゲームの顔と比較してしまう辺り重症かと

余計な箇所が省かれた漫画やゲームの顔と比べて
生身の顔の生身の部分(自身のコンプレックス部分)がある事に納得いかないが
客観的に見ると人の顔としては然程違和感はないのかもな

俺がTVを自ら見なくなったのは2年程前から
TVに映っている人間と目が合うようになったと感じ始めて
内容どころではなくなった、笑い声が聴こえてくると
自分の事を笑われているのだと思い込んだ

元々人の笑い声は好きじゃない
単純な行動で「仲間意識」を持たせるようなとても軽い印象で
協調性のない、というより常に「笑いあう仲間」と外れていた俺としては
「笑いあいながら目の端で俺の姿を確認する事で築き上げている友人関係」
のように捻くれて見えるから
目の端に俺がいなかったら笑いあうのは自己満足なのかなー、とか

そういうのが1対1になると途端に無口になって笑わなくなる
あくまでも笑いあう仲間の中で俺を追っているだけであり
個人では興味の対象にすらならないという事なんだろうな

それが嫌で結局TVとか交流からは距離を置くようになった

陰でいい噂をされる事を期待して傷付きたくないからね

高校を退学したのは
入学して僅か2ヶ月後、
遠足と運動会が終わって直ぐあたり

大して苦労も勉強もせずお情けで入学した
下から数えた方が早いような学校だが
自宅から電車を乗り継ぎ、
更に徒歩で30分はかかる辺鄙な場所にある
その為遅刻せず登校するには1時間前には家を出なくてはならない

他が慣れて纏まってきたクラスの中で打解けずにいた為
浮いてしまったといった感じ、
そこにトドメを刺したのが
「レズみたい」
というクラスメートの一言だった

中学のクラスメートには
「イジメとかじゃなくて単純に勉強についていけなくなった」
(確かにそれもあるんだけど)
とか言い訳してある

退学を決めた日、もう二度と来なくていいように
ロッカーの中身から机の中、総て鞄に詰め込んで
まだ開門して間もない学校に忍び込んで
朝早く、登校する生徒に混じって来た道を逆走したっけ

その後学校から
「忘れ物を取りに来い、もう一度話し合おう」
と電話があったり
部活の先輩から連絡があったり
その度に絶対に出ないと決め込んだ

今から思えば耐えられる内容だったな、
もう少し学力的に頭が良ければ

俺は
「金が勿体無いし、学校なんかもう行かない、バイト(新聞配達)をして暮らす」
と言ったのだが
親が転校という形を取って何とか高校を卒業させようと
通信制の高校に通うように勧めたが
それも体育のスクーリングが嫌で結局半年ほどで辞めてしまった、
他人と校外授業を受けている自分が想像出来なかった

よく眠れなかった

限られた時間や空間が自由なら
何をやってもいいという考え方には共感できない

限りがあるから大切に出来る、
有限であるから大切に出来る
無限であると価値がない
とは最近よく聞かれるが
だとしたら「神」という無限の象徴は結局雑に扱われているんだな
考え方として矛盾しているね

同じ物、若しくは同じ意味を持つものなら
何であっても同じというのは
まるでロボットみたいだ、
「伝統の味」が機械であるか手作業であるかみたいなような物で
結局開発者以外にオリジナリティはないという事になる

そこが人の都合のいいところで、
他が認めれば形や味が似ていれば同じになる
その認められる試験に合格する事が生きがいと呼ばれる

完全なるオリジナルと、
似せたけど上手くいかなかった例のオリジナル(パクリ)と
オリジナルと瓜二つのプロの世界

俺の人格や作品はどれに属すのか

P R