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勉強はさておき、
結果的に精神年齢が他より、教師よりも離れていたから
自分の考え方に自信があって
「見下す(馬鹿にする)」
事になったのかもしれない
個人での付き合いは深くて狭かった
だから片方が風邪で休むと2、3日は1人で適当に過ごす事が多かったが
そこまで気にはしなかった、
何故なら昔から独り遊びが得意で
自分の世界を持っていたから
のにも関わらず連絡帳及び親への報告は
「独りで寂しそうでした」
と、後から聞かされた(親から)
片親な事を理由に(恥をかくから)
「一人で遊びに行かないで」
とかよく言われてたが1人で出かけるのは日常茶飯事だった
特に小学校低学年の時は
一人で行っていいのは図書館のみと決められていたのに
そこらじゅうを独りで自転車や徒歩で駆け回っていた
それをよく「約束破りの嘘つき」と言われてたっけ
人間関係を少し気にするようになったのは
中学で初めてのクラス替えの時、
誰一人俺の事を「友達」の欄に書かなかった事
詳細は知らないがクラス替えが終わって
新しいクラスを見て何となく覚った
中学3年の時は卒業という一つの目標に向かって全員が空気を読んだ
退学してから毎年年賀状の枚数が減り
最後の4枚は自ら切った
というのも男女の交友関係を越える同性の友情を育んだ事がなかった故
こんなもの意味が無いと割り切ってしまったのと
パソコンの件で(病んでいたのが)原因といえばそうだ
それから4年ほどして結局小学校低学年レベルの俺に戻る
友達というものに重きを置かなくなった
自分の楽しみや世界観を重視し
社会である程度やり過ごせればそれでいい
今日はあまりいい日じゃなかった
ただ家の中で過ごしているだけでも
気分の違いで考える内容も違ってくる
将来の夢からいつの間にか仕事帰りの話にまで脹らんで鬱になった
夢らしい夢を考えたのは小学校4年辺り
何故か喫茶店を開く(マスターになる)のが夢だったが
ポケモンに出会って漫画家と(か)声優になるというのが平行して中学3年まで続いた
自分で描いた漫画がアニメ化されて
その声(できれば主人公)を自分で、というのがやりたかった
年齢が上がるにつれて絵よりも声に自信を持つようになって
中学2、3年の頃には
「絶対に声優になれる(なる)」
と信じて疑わなかった
その様子を
「どうしてそこまで自信持てるの?学校落ちたら元も子もないじゃん」
とか言われてたんだが
誰よりも才能があると思い込んでたから
例え高校に入れなくてもオーディションで何とかなると思った訳で
でも実際退学したら「退学した」という段階で諦めるような夢だった、
というのは結局
「好きな事を夢に向かって頑張っている自分」
が好きだっただけで
本格的に目指そうという気持ちはなかった
目指そうと思うと重くてどこか面倒になる
それは今現在にも通じる事で
絵や小説を描くのは
「自分の好きな事を思い切りやっていたい」
というただそれだけだという事に気付いた
自由に過ごす事の楽しさやありがたみは充分学べた
人がいてもいなくても保たれる心の自由がある
規模が小さいから他を知らないのかもしれないが
無理に自分より大きな世界に合わせる必要はない
だったら家買ってバイトして好きな事して過ごせばいいじゃん、
という所に辿り着いた
今年もいつの間にか親が買ってきていたポケモンのチョコレートを食べて終わる
そういえば去年まではこのチョコレート、1つ1つ個装されていたのに
今年はカードスナックと同じチョコレートで1つの袋にチョココーティングされたビスケットが入っていた
一昨年辺りはポケモンセンターのチョコ(ペンケースに鉛筆型のチョコ)
が地域のスーパーで限定発売されたのを食べたが
いつの間にか売られなくなったな、見に行かないからかもしれないけど
本当に好きで貰った事はないが
これでも学生時代は手作りのクッキーを貰った事がある、
バレンタインが近づいて
「作るの?だったらちょーだい」
程度に頼んだのもあって
中学3年~高校1年(退学後)に
「ついでに」貰ったといった感じだったが
今でも俺のステータスになってる、当時は結構嬉しかった
「ホワイトデー」にお返しのチョコを買ったのも初めてだった
小学校から誕生日とか気軽にプレゼントやメッセージを贈る習慣があったから
実際は俺が一方的に物をあげる方が多かったけど
バレンタインというネタ自体今まで使いこなした事がなかったが
我ながら新しい発想だと思った
サイトを持って初めてこういうネタをやりたくなった
積極性の無さがこういう所にも表れる
というより人の目には留まり易いが
特にこちらから意識する事がなければ
「イメージ」が積極性に負けてしまう、インパクトが薄くなる
早い話俺を見ると積極的になれるという人は男女問わず結構多い
イベントのシーズンは特に何処か冷たい態度を
とられる事が多いと感じるのはそのせいかもな
意識しない、だから同じ立場に立たなければ勝負にならない
俺を同じ立場、空間に置く為に挑発行為を繰り返す
「躍起になっている姿はどちらが汚らしいか」
で、勝負しようとよく誘われる
挑発を受ける事が同一視されているという事らしい
しかしその挑発がエスカレートしたら
挑発を受けざるを得ない時はいずれか来る
だとしたらそれを「同じ」と言えるのかどうか
そういえば俺が学生時代の自分の理想像は
「子供っぽい大人」だった
いつもは子供っぽくて何も考えていないようでも
いざという時に冷静に対処出来る
その境目がくっきりと分かれている、
そんな奴を目指していた気がする
そういう自分をやりこなせている時、自信を持っていた
理想に近づけば近づくほど自信をつけた
だから勉強を頑張ろうという気分にならなかった
言い訳かもしれないが勉強をしなくても既に自分が大人であると思っていた
学生時代は既に学生の精神を卒業していたし、当時の自分に自覚症状もある
それが逆に幼いといえば確かにそうだが
当時の日記にそれらしい事が書いてある、
とにかくそういう自分を第三者に認められるのが次の目標で
それを見透かされているのか認めるといっても
「俺に言われたから」的な認め方だったのが分かる、正直気に入らなかった
自分が生きていくにあたって精神の不自由のないように
色々な方法で自分を表現し自分の周りに認めて貰い
それをかき集めて自身を確立させていく
範囲が狭かったのは世間体があったからか
となると自身の存在は当時から
とても小さいと本能的に自覚してたのかもしれない、
ただそれを上手く表現できずにいただけで
そこが滑稽だから馬鹿にされていたと今になって気付いた
知識もなしに考え方だけ大人びていて自己中心的
学歴や知識を抜きにしたら俺は(俺の精神は)どんな評価を受けるのか
だからこそ学生時代のクラスメートとは距離を置き始めた