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自分の私生活の酷さをアピールするのなんか簡単な事だし
同情や注目を集めるのなんかコピペで充分
綺麗に纏めるにはカットや追記は当たり前
俺の中で「現実」というよりも「見て欲しい自分」を、「事実」を書く
正直1番でありたかったのは幾つもある
同じラインに誰かが立たなければ勝てた試合が幾つもある
だから大事な物は守り通すけどそのお陰で負けるのは日常茶飯事
「他なんか上辺で満足していればいい」
それが俺の根本的な部分にある、勝ちは譲るが認めない
いつも負けたつもりだけど腹の中では俺が勝ってる
そういう自分を時々こういう形で曝け出したくなる
私生活がもう少し違っていたら
例え同じでも負ける事はなかっただろうね
自分が誰かを毛嫌いするのは
何かしらいつも理由があると思ってたけど
小学校の頃、障害者を単純に異端児として嫌ってたのを思い出した
特別学級ができるまでは2学年に1人位の割合で障害児童が混じってて
子供心に「話すのやだなー」とか思ったり
周りが優しくしているのを見ても理由が分からなかったり
「健常者と同じように見ている、差別が無い」
といえば聞こえはいいが
大人と同じように「気を使う」以外に会話が成り立たなかった事実
友達が気遣って家に呼んだ時
ゲーム中に無性に苛立って「痛い」と言わせるまで
分からないように爪を立てた事があった
それから10年後位に地元の祭で再会して
メールアドレスを交換したがメールは返って来なかった
当時の同じ学級の子と一緒に来ていたのをよく覚えてる
誰かが代わりを務めなくても
そうして自然な形で終わっていく
「自分の中で忘れてもいい悪いこと」
俺も大人になって
「気を使っている事を表に出さない」
事を覚えた
「ネットという環境」がゲームの世界と同じ感覚になってきてるからだろうな
今のHN「神事イサム」が出来たのは
「俺だったらもっと上手いHN作るのになー」
っていう偶然だったけど、
両親に付けられた自身の本名より余程俺のイメージに近い
その自由度の高さを少し利用したかっただけなんだが
1つの噓が総てに広がってそのまま世界へ拡散したように思える
ネットは噓、総て噓、総てキャラ、総てゲーム、みたいな
だから俺も「そうした一部」だと思うけど悪いという気はしないな(・∀・)
人より多く、良いものが欲しい
そんなのに比べたら大したことないね
嫌だと感じた事はよく覚えてる
自分の中で自分のした事に比べるとされた事の方が重たいというのは
殆どの人が真っ先に下す判断かと思うが
結局自分を中心にしているのか、
一般常識を知った上での判断なのかでは違ってくる
自分で正しいと決める、正しい事を貫く、大勢を納得させる
大勢に目立つ人が含まれる、それを更に大勢が見る
それがいつか常識と呼ばれるようになる
大勢でいると飲み込まれるけど
独りでいると自分の常識があって、
それが大勢でいる時の自分と外れていて
どちらかというと俺に近かったりする
そんな人の気持ちを理解しようとは思えないね(・∀・)
だから行き場がなくなって
さらけ出せる相手を探すのかな
一つ噓をつくと本当の事も、正しい事も
それをフォローする為に書かれているように見える
噓をつき続けるのが正しいのか、
その結果本当の事を書いても噓になるんだろうな
噓か本当か誰が判断しているのかといえば噓つきか正直な自分、
人が結果だけを見て判断するしかない
その結果が自分と同じであるのが普通だと思うね
イメージをそのまま受け入れる
だから騙される、騙されたり傷つきたくなくて裏を読む
でも騙されたり傷ついたりした事が
騙したり傷つける言い訳にはならない
だから結局噓をつくんじゃないかな