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客観的に見ないと気付かない事だった

自分の容姿で店の宣伝になったり
客を寄せ付けなかったりするのか

俺が小学生だった頃、
母親と都心の某デパートにある鰻専門の飲食店に入ったら
母親の分の鰻は注文どおり来たのに
俺の分だけいつまでも経っても運ばれて来ず
母親が訴えたらその時に注文が入ったのか
数十分後にやっと食べる事が出来た

当時の自分の姿を想像すると
確かに食べている姿の印象は悪く映ったかもしれない
そもそも小学生が鰻専門店に入る(入れる)事自体店のレベルが低く見えるか
たかがデパートの飲食店街でそこまで鰻に幅を利かせるか悩む所だな
とりあえずそれを(容姿から鰻の食べ方を)瞬時に判断するのが素晴らしい

因みに「鰻で有名なお店」ではちゃんと通してもらったよ(・∀・)

俺に限っては自分の好きな物に誰がどんな形で触れようと
気持ちは変わらないけどね

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理想に近づく為に
互いに自分と比べた時、
自分の方が良く見える相手を選ぶ
それが友達や恋人だったりするんだよ(・∀・)

顔のいい奴は顔で、悪い奴は性格で相手を見下すし
外観は同じレベルの奴はそれぞれ裏側で悪口を言い合う
性格が合ったら外観も自分と同じ、もしくは高いレベルの奴を探し始める

段々関係がわざとらしくなっていくのは
その事に気付き始めて、お互いを意識するからだね

自分達とは違う奴を一緒に見下すのがいい関係

独りでやってきた俺が
既にある
「同じ考え方のグループ」
に分類されるのは屈辱だな
 

しいて言えば
「裏と表を使い分ける所が女性的」
なのかもしれない

ネットを始めたばかりの頃、
「リアルとネットは別々でありたい」
と書いた事があったが
どちらが本物だとは明かさなかった

適当だった外観がネットと平行する事によって整っていく
考え方も理想どおり纏まってきた
ネットは俺にとって現実を構成しているプログラムなのかもしれないね

嫌な関係を断って再構築する
「溶け込み易い外観に無難な性格」
を支えているのが本当の俺

頭の中だけならそれが自分だと証明出来ない
だから不特定多数の人間の目に留まり易く
現実に近いネットという場所で形に残す

いつも俺に敵わないと認めてるから
反則的な行動が出来るんだよ

俺を見ていると何か急かされるような気分になる
なのに俺自身は急いでいるように見えない

「負けたのではなく、自分が馬鹿なだけ」
という負け惜しみってやつかな
そうした自分、
「他人に負かされる事を認めない所」が俺と被る
そこを
「“自分が負かされたやつ(俺)と同じ”
という自己満足は俺の腹の中と同じ」
と思い込む

だからそれがズルさに変わる
ズルいという捉えられ方をするのは
自分が俺より未熟見(られて)えるから

それが気に入らなくて
俺が何処からそうした考え方に至ったのかルーツを知りたくなる
影響を受けたものが同じなら、同じ理由でもおかしくないからね
そうして悪循環に陥っていく

人と同じ事をするのが嫌で
人と何か被る度にぶつかってきた
同じ事をするなら絶対に負けたくないし、負けない自信がある

流行は嫌いだし、その中心にいたいとも思わない
例えば流行の中心に偶然俺の好きな物と同じ物があっても
俺だったらそうしないようになっているのだから
結局別物なんだよ

それが俺がいつも腹の中で描いてる絶対的な優位で、奪えない物かな
空気が読める、だから人が何を欲しがっていて
どんな物が好きか、気に入るか直ぐに分かる
なのに上手く表現出来なくて諦めたり留まっていたりするのもね
全部に俺の名前を書いておきたくなる

平たく言えば大衆受けする物を捻り出すのが得意なのかもな

「流行」になったらみんなが同じ事してても
何かと同じなんて言われなくなる
誰でも欲しい物が簡単に手に入る「流行」になったら
名前を書く意味もなくなるしね

だから流行ると途端に手放したくなる
P R