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いつからか人の思う事の先回りをするようになった
以前
「空気が読めるから何を求めているかが分かる」
と書いたが
その通りにするのもあえて避けて通るのも思うように出来る
そうした自分によって人の出方が変わってくる
それが(出方が)俺に影響を受けた結果ではなく
自分の意志で決めた事であるから
あえて曲がった方向へ移動する
同じように与えられた知識を
「自分なりに解釈、理解する事」を
「全く別の物に挿げ替える」
と捉えられる
俺自身は自分の事を自分で考えるように出来ているから
何者に影響を受けた訳がなかったり(・∀・)
しいていえば他と興味を持つ物が同じでも
見方や目線が違うから違って見えるだけだろうね
結果だけが同じであるのは
「出来上がったそのもの」に
影響を受けているのではないのかな
自身が大人になるにつれ見るアニメの傾向が移り変わる事が少なく
思えばついこのあいだまで幼児番組を見ていた気がする
複雑なアニメは途中から見ると排他的な扱いを受ける上に
登場人物が何を言っているのか分からず、それを理解しようとしないから
結局その輪(話)に入ろうと思わない
自分等に通じる言葉だけを使って
公共の電波を使ってそれらの戦い、
主に
「自分達の精神世界の具体化」
を堂々と放送、宣言しているという考え方は
ひねくれ過ぎているという気もするが
やっぱり好きになれない
今はそれが少しリアルになって
「ネットという空間が精神世界と同じである」
という考え方である現代人が
「当時のアニメを好む人達をネットという世界観に引き込んでいる」
のかもしれないな、なんて(・∀・)
子供向けとされる番組にその要素は必要がないから
逆に単純な仕上がりになるが
(あえてその要素を避けられて作られているのがわかるような)
子供向けの番組も大人のアニメオタクが大人の目線で見るようになって
それが「駄作だ」と言われるようになる
よって
大人はフラグを読んで、子供は単純に物語を楽しめるという二重構造になっている訳だ
だから人が集まると
「大人の見方をしているか」
「子供の見方をしているか」
というのが直ぐに分かる
そうして
「どちらの見方が子供か」
という所に辿りつく
数日前に
「小さな積み重ねが隣にある同じ高さの物のフラグになる」
と書いたが
その小さな積み重ねが何物であるかまでは分からない
つまり小さな積み重ねの中に自分の意図しないものが紛れても
「同じ高さの物が隣にあるという条件」
がフラグになり
「その意図しない物(=噓)の数」
でその人が
本質的に嘘つきであるかどうかが分かるのかもしれないね(・∀・)
そしてその小さな積み重ねが
「自分の手で積み上げたものではない」
というのが
「フラグの条件」であると思うね
ただしそれがネットという匿名性の高い場所である場合
本名を晒している以外総てに当て嵌まる
つまりそれだけ
「同じ積み重ね」が幾つも存在し、
それぞれに著作権が生じる為
結局噓の数で自身の積み重ね(著作権)の価値が決まる訳だ
少なくとも、外観と性格にギャップがあるってのはずっと言われてきた
空気が読めると
「自分の印象を押し付けがましい」と感じられて
その通りに読みたくなくなる、
どうしても反抗的になってしまうものなのかもね(・∀・)
印象の判断基準は人それぞれ
例えば「腹黒い」と判断している相手の姿も
俺には「嫌な印象」として映っているのを
全体として見渡すと相手は自己中心的である
そこを見破られずに(嫌な印象として映されずに)
付き合うのがベストなんだろうが
つまり外観から瞬時に俺を「腹黒い」と
どちらかというと悪印象で捉えた相手は
・自分に自信がないから相手を悪く捉えてしまう
・俺の顔が腹黒い顔をしていたからその通りに捉えた
初対面で故意的に嫌な顔をする人は少ないと思うが
「性格は顔に出る」とも言える
だから俺は今の顔である以上相手の言うように
「自分の潜在意識下にある自身の腹黒さを認めなければならない」
って事か
気持ちだけが先行するとフラグが立つ
考えている事を纏めるのに他を利用していると
その場所を離れた時何も出来なくなる
言い訳が自己中心的で俺と被る
自身を過大評価するつもりはないが
小さな積み重ねが元々高いものと同じ高さになると
元々同じ高さの物の価値が下がる、
つまり
「隣にある小さな積み重ねがまるで同じ高さの物の中身が小さな積み重ねのように見える」
これ(小さな積み重ね)をフラグと呼ぶ
その
「小さな積み重ねをどう捉えるか」
が
「器の大きさ」
であったりね
大は小を兼ねるが
小は大から離れれば元に戻る
だから俺は常に何かの傍にいる印象で捉えられているんだな