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環境に慣れるより環境を作る
環境さえ整えば幅を利かせられるのに
そこで逃げ出す奴はただの馬鹿

多くの人の根本的感覚を自身に合わせる必要がある
規制が少なく、利用者層が限定される
ネットという手軽な情報発信ツールで
個人でも数さえこなせば流れを作る事が出来る
それが個人の主軸であるから
勢力、権力がないという事を言い訳にさせない

独りでこなしてきた事が他の目に触れて
数が増えたら思惑通りだけど
その数の中に紛れこんで逆走するのが争いの原因になったりしてね

自身と同じスペース(感覚)が増えて
重なる点が多くなればなるほど幅を利かせ易くなるが
「同じではないのに重なれば総て我が物」となると
それは他所への侵略である
同じ事をしているのが必ずしも自分だけではないからね

つまり、元の感覚には戻れないのか
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人は何かしら
「自身にメリットがある」と知れば
一般論と外れていても
ある程度の事は受け入れられる

「一般論と外れた内容」と、「そのメリット」と、
どちらが優勢(優位)であるかが駆け引きなんだろうな

欲するものが必ずしも金銭に関わる事とは思えないし
その為に利用されるなら外れた上策も上回るだろうね

承諾した時点で互いに認め合って(見下しあって)いるから
互いより更に大きく切り取ろうと、
その幅が広がっていくのかな

汚れたものが自身の中で転生を繰り返し
世で受け入れられ、認められる
それを浄化とするなら

綺麗とされたものの前世は汚れであり
また、汚れをどうして転生させるかという所で
人の腹の内が読める

悪い物を利用して悪い物に転生させれば
受け入れられず浄化は成り立たない
悪い物を利用して良い物に転生させる時、
自身と重ならないように(自身の身を化さないように)
意識する事が人の悩みである

それを越してする事を偽善と罵られる、
俺もどちらかというとそう思う

曖昧であるというのは
「どちらつかずではっきりしないように“見せる”事」かな
はっきりしているとそれが個性になるからね

はっきりさせる方が簡単なのに
あえて曖昧なのは意図的
単純に
「複雑な方が頭が良さそうに見える」
というメリットはあるだろうしね
(その考え方こそが「単純」という見方もあるが)

こうした考え方が流通しているのはネット空間のみで
仮の名前(HN)と自分自身がどれだけ共有しているかで
「架空の自分の裏側に本体が存在するか」
という事が決まるのだと

ネットで使用されるHNがそのどちらつかずの存在というのが一般的なら
名前(本名)が個性で「HN」そのものが曖昧であるというのが普通になる

つまり、HN(仮の自分)というのは常に予告無く変更されたり、
複数存在するというのが当たり前であるという定義

でも自分の頭と契約したパソコンの回線が著作権を握っているから
結局その複数や変更過程もそれぞれに振り分けられる
距離があるとそれだけ間接的になってしまうのは仕方ないかな(・∀・)

独りでこなすから俺だけのものになる
報酬を求めないから
それ以上は不要

P R