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自分のイメージって他から与えられるものじゃ納得できない、
そんな考え方が自分の大半を占めているのか
ネットでも自己表現を欠かさない

最初に「参加」したのはサイトや他の掲示板やチャットではなく、
まず自分のホームページを持った事で
元々ネット上での立場において自己の確立からだった

でもそれはいわゆる、
「総てを曝け出せ、曝け出しているという表現」になるらしい
周りのほぼ殆どが一律の匿名で構成されていて
それがネットの生態系であって、俺のような考え方は生態系を崩すと

だから適当なイメージを与えてバランスを保つのは
俺(神事イサム)を保護する事であり、
俺自身の行い(ネット上での行動)が、
それら(自らを曝け出せという内容)を誘発しても
自業自得であるとの考え方だと知った
 

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元々「空論」にあるような表現は好きだけど
連日で書くのは不自然だったかな

比喩的な表現ってのは1つの事に対して2にも10にも見える、
そうした曖昧さ(捉える側によってオリジナリティと呼べる自由)
がパクリという表現を緩和して
寧ろその数、見える物の数で価値が決まるみたいな現状
それが制作側のオリジナリティであって
俺はそれをいかに短い文章で得られるか書いてみたかった、
まぁそういう意味で流行に乗ってみた(参加した)のかも

実際観覧数は少ないし、身の丈にあった表現かもね

136号室に書かれた「空論」は綺麗に纏まったけど
そこから俺がどんな状況に置かれたかまでは分からない
「多くは語らず」、その一言に尽きる

別の事を書き始めるのに
ひと段落置くと宣言しなくてはならないのは
文章(見た目)として汚いかもしれないが
俺から何も言わず“いきなりこうなった”、
みたいな結論にたどり着いても面白くないからね(・∀・)

俺と「他のものと比べてこちらがいい」、
第三者的な目線ではなく
俺と「自分が同じ考え方であるから」、
それを選んだ(偶然であった)という見方は幼稚

その結果
成功すれば金の無い、権力や学歴の無い奴が自分を外に出せない僻みと捉えられ
非難されれば結局俺のせいになる

出来ないと分かりきっている事を薦めた時に
チャンスとして生かせる奴が本物であるから
自分をチャンス、踏み台にされたくないという考え方で見られてるのかと

つまり
あくまでも「ライバル」関係であり
意識もしていないのに同じラインに立たされてたって訳ね
 

日向を求めて
擡げた蕾を摘み取れば

一つ遮る影が消え
春を芳せほころんだ

馴染んだ無地に馳せたのは
触れると翳む筆の跡

山折り沿いに這わせると
沈む灯牢の鍵

添えた便りは片隅に

鎖した夜は薄暗く
重たく引き摺る足枷に

蝋に爛れる手元には
繕う為の針と糸

背いた痕は点々と
闇に奪われ失った

縋る格子に絡まった
底に消えゆく金網は

いずれ束ねて渡そうか
P R