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被害者曰く疑われるだけの土台が整っていながら
証拠も無く一方的に被害妄想で物事を判断、
結局自分で墓穴を掘っているだけであって
それが他人によって目に付く所に晒されたからといって
墓穴を一般常識で判断できる程度、自業自得
偶然過剰な表現に書き換えられて
半端な知識と曖昧な規則で判断されたのは
軽犯罪としては都合が良かったと思われて仕方ない
(自身の犯した罪とは結びつかないような条件にまで発展した事により罪が軽くなった)
過去の犯罪履歴と重ね合わせて犯人像を割り出すと
過剰な自己表現をする人間はその場に合わせる事が出来ず
(人や周りの為に自分を捨てる事が出来ず、自分を押し通す傾向にある)
いずれは犯罪者になるという結論
その為に「発展した状態」を体感させる事により反省を促す、
これが「技術」の使用例らしい
情報開示を求めたのは
俺の外見や書き込みが過剰で
それなりに疑われる要素があった、
要するに「両親の揃った一般家庭」を基準に判断され
「片親で育ち、こうした性格は犯罪者になる」と
元々警察に探られるような状況下にあった訳で
ネットが(ネット環境が)悪いのではなく
そうした家庭がネットに触れた(パソコンの普及により)事で
一律であった状態に悪影響を及ぼし生態系が崩れた
この件に関しては一般家庭へのパソコンの普及と
俺の思春期(16~20歳)のタイミングが重なり
「業界」であったインターネットの治安が悪化
ネットを知らない人間が
ネットを知らない現実とのバランスを取って
「気付かれれば逃げられてしまう」事を
理由にしたのは言うまでもない
実際それらが仄めかすような内容に捉えられるかと言われれば
意思疎通が上手くいかず伝達障害だったという程度
過剰な自己表現はそれに伴った
それなりの情報開示を求められるのは当然であり
また情報社会の関係者が占めていたパソコン、
インターネットが一般家庭に普及した事により
ネットという空間についての考え方が二分するのは当たり前であるので
それ以降の理解者がそれらの「どちらにつくか」というのはそれぞれの判断、
それらしい法律が制定されるのがこうした問題が起こった後というのは
国が個人の味方に付くようなものであり、
それ以前の考え方は「国を従えた個人」により
総て捨て去れという意味合いにも取れる
それが先進国のとる姿なのかと言われれば微妙だな
自身が絡んでいるから、そちらが正しいというのは自己弁護だが
「過剰な自己表現」が他人の腹の内を逆撫でするというだけで
情報開示を求めたのが個人で、
尚且つその理由も個人的なものだという結末
自分のイメージって他から与えられるものじゃ納得できない、
そんな考え方が自分の大半を占めているのか
ネットでも自己表現を欠かさない
最初に「参加」したのはサイトや他の掲示板やチャットではなく、
まず自分のホームページを持った事で
元々ネット上での立場において自己の確立からだった
でもそれはいわゆる、
「総てを曝け出せ、曝け出しているという表現」になるらしい
周りのほぼ殆どが一律の匿名で構成されていて
それがネットの生態系であって、俺のような考え方は生態系を崩すと
だから適当なイメージを与えてバランスを保つのは
俺(神事イサム)を保護する事であり、
俺自身の行い(ネット上での行動)が、
それら(自らを曝け出せという内容)を誘発しても
自業自得であるとの考え方だと知った
独りでこなすから俺だけのものになる
報酬を求めないから
それ以上は不要