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いつも俺に敵わないと認めてるから
反則的な行動が出来るんだよ
俺を見ていると何か急かされるような気分になる
なのに俺自身は急いでいるように見えない
「負けたのではなく、自分が馬鹿なだけ」
という負け惜しみってやつかな
そうした自分、
「他人に負かされる事を認めない所」が俺と被る
そこを
「“自分が負かされたやつ(俺)と同じ”
という自己満足は俺の腹の中と同じ」
と思い込む
だからそれがズルさに変わる
ズルいという捉えられ方をするのは
自分が俺より未熟見(られて)えるから
それが気に入らなくて
俺が何処からそうした考え方に至ったのかルーツを知りたくなる
影響を受けたものが同じなら、同じ理由でもおかしくないからね
そうして悪循環に陥っていく
人と何か被る度にぶつかってきた
同じ事をするなら絶対に負けたくないし、負けない自信がある
流行は嫌いだし、その中心にいたいとも思わない
例えば流行の中心に偶然俺の好きな物と同じ物があっても
俺だったらそうしないようになっているのだから
結局別物なんだよ
それが俺がいつも腹の中で描いてる絶対的な優位で、奪えない物かな
空気が読める、だから人が何を欲しがっていて
どんな物が好きか、気に入るか直ぐに分かる
なのに上手く表現出来なくて諦めたり留まっていたりするのもね
全部に俺の名前を書いておきたくなる
平たく言えば大衆受けする物を捻り出すのが得意なのかもな
「流行」になったらみんなが同じ事してても
何かと同じなんて言われなくなる
誰でも欲しい物が簡単に手に入る「流行」になったら
名前を書く意味もなくなるしね
だから流行ると途端に手放したくなる
自分の私生活の酷さをアピールするのなんか簡単な事だし
同情や注目を集めるのなんかコピペで充分
綺麗に纏めるにはカットや追記は当たり前
俺の中で「現実」というよりも「見て欲しい自分」を、「事実」を書く
正直1番でありたかったのは幾つもある
同じラインに誰かが立たなければ勝てた試合が幾つもある
だから大事な物は守り通すけどそのお陰で負けるのは日常茶飯事
「他なんか上辺で満足していればいい」
それが俺の根本的な部分にある、勝ちは譲るが認めない
いつも負けたつもりだけど腹の中では俺が勝ってる
そういう自分を時々こういう形で曝け出したくなる
私生活がもう少し違っていたら
例え同じでも負ける事はなかっただろうね
自分が誰かを毛嫌いするのは
何かしらいつも理由があると思ってたけど
小学校の頃、障害者を単純に異端児として嫌ってたのを思い出した
特別学級ができるまでは2学年に1人位の割合で障害児童が混じってて
子供心に「話すのやだなー」とか思ったり
周りが優しくしているのを見ても理由が分からなかったり
「健常者と同じように見ている、差別が無い」
といえば聞こえはいいが
大人と同じように「気を使う」以外に会話が成り立たなかった事実
友達が気遣って家に呼んだ時
ゲーム中に無性に苛立って「痛い」と言わせるまで
分からないように爪を立てた事があった
それから10年後位に地元の祭で再会して
メールアドレスを交換したがメールは返って来なかった
当時の同じ学級の子と一緒に来ていたのをよく覚えてる
誰かが代わりを務めなくても
そうして自然な形で終わっていく
「自分の中で忘れてもいい悪いこと」
俺も大人になって
「気を使っている事を表に出さない」
事を覚えた
「ネットという環境」がゲームの世界と同じ感覚になってきてるからだろうな
今のHN「神事イサム」が出来たのは
「俺だったらもっと上手いHN作るのになー」
っていう偶然だったけど、
両親に付けられた自身の本名より余程俺のイメージに近い
その自由度の高さを少し利用したかっただけなんだが
1つの噓が総てに広がってそのまま世界へ拡散したように思える
ネットは噓、総て噓、総てキャラ、総てゲーム、みたいな
だから俺も「そうした一部」だと思うけど悪いという気はしないな(・∀・)
人より多く、良いものが欲しい
そんなのに比べたら大したことないね