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少なくとも、外観と性格にギャップがあるってのはずっと言われてきた
空気が読めると
「自分の印象を押し付けがましい」と感じられて
その通りに読みたくなくなる、
どうしても反抗的になってしまうものなのかもね(・∀・)
印象の判断基準は人それぞれ
例えば「腹黒い」と判断している相手の姿も
俺には「嫌な印象」として映っているのを
全体として見渡すと相手は自己中心的である
そこを見破られずに(嫌な印象として映されずに)
付き合うのがベストなんだろうが
つまり外観から瞬時に俺を「腹黒い」と
どちらかというと悪印象で捉えた相手は
・自分に自信がないから相手を悪く捉えてしまう
・俺の顔が腹黒い顔をしていたからその通りに捉えた
初対面で故意的に嫌な顔をする人は少ないと思うが
「性格は顔に出る」とも言える
だから俺は今の顔である以上相手の言うように
「自分の潜在意識下にある自身の腹黒さを認めなければならない」
って事か
気持ちだけが先行するとフラグが立つ
考えている事を纏めるのに他を利用していると
その場所を離れた時何も出来なくなる
言い訳が自己中心的で俺と被る
自身を過大評価するつもりはないが
小さな積み重ねが元々高いものと同じ高さになると
元々同じ高さの物の価値が下がる、
つまり
「隣にある小さな積み重ねがまるで同じ高さの物の中身が小さな積み重ねのように見える」
これ(小さな積み重ね)をフラグと呼ぶ
その
「小さな積み重ねをどう捉えるか」
が
「器の大きさ」
であったりね
大は小を兼ねるが
小は大から離れれば元に戻る
だから俺は常に何かの傍にいる印象で捉えられているんだな
客観的に見ないと気付かない事だった
自分の容姿で店の宣伝になったり
客を寄せ付けなかったりするのか
俺が小学生だった頃、
母親と都心の某デパートにある鰻専門の飲食店に入ったら
母親の分の鰻は注文どおり来たのに
俺の分だけいつまでも経っても運ばれて来ず
母親が訴えたらその時に注文が入ったのか
数十分後にやっと食べる事が出来た
当時の自分の姿を想像すると
確かに食べている姿の印象は悪く映ったかもしれない
そもそも小学生が鰻専門店に入る(入れる)事自体店のレベルが低く見えるか
たかがデパートの飲食店街でそこまで鰻に幅を利かせるか悩む所だな
とりあえずそれを(容姿から鰻の食べ方を)瞬時に判断するのが素晴らしい
因みに「鰻で有名なお店」ではちゃんと通してもらったよ(・∀・)
俺に限っては自分の好きな物に誰がどんな形で触れようと
気持ちは変わらないけどね
理想に近づく為に
互いに自分と比べた時、
自分の方が良く見える相手を選ぶ
それが友達や恋人だったりするんだよ(・∀・)
顔のいい奴は顔で、悪い奴は性格で相手を見下すし
外観は同じレベルの奴はそれぞれ裏側で悪口を言い合う
性格が合ったら外観も自分と同じ、もしくは高いレベルの奴を探し始める
段々関係がわざとらしくなっていくのは
その事に気付き始めて、お互いを意識するからだね
自分達とは違う奴を一緒に見下すのがいい関係
独りでやってきた俺が
既にある
「同じ考え方のグループ」
に分類されるのは屈辱だな
「裏と表を使い分ける所が女性的」
なのかもしれない
ネットを始めたばかりの頃、
「リアルとネットは別々でありたい」
と書いた事があったが
どちらが本物だとは明かさなかった
適当だった外観がネットと平行する事によって整っていく
考え方も理想どおり纏まってきた
ネットは俺にとって現実を構成しているプログラムなのかもしれないね
嫌な関係を断って再構築する
「溶け込み易い外観に無難な性格」
を支えているのが本当の俺
頭の中だけならそれが自分だと証明出来ない
だから不特定多数の人間の目に留まり易く
現実に近いネットという場所で形に残す