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元々「空論」にあるような表現は好きだけど
連日で書くのは不自然だったかな

比喩的な表現ってのは1つの事に対して2にも10にも見える、
そうした曖昧さ(捉える側によってオリジナリティと呼べる自由)
がパクリという表現を緩和して
寧ろその数、見える物の数で価値が決まるみたいな現状
それが制作側のオリジナリティであって
俺はそれをいかに短い文章で得られるか書いてみたかった、
まぁそういう意味で流行に乗ってみた(参加した)のかも

実際観覧数は少ないし、身の丈にあった表現かもね

136号室に書かれた「空論」は綺麗に纏まったけど
そこから俺がどんな状況に置かれたかまでは分からない
「多くは語らず」、その一言に尽きる
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別の事を書き始めるのに
ひと段落置くと宣言しなくてはならないのは
文章(見た目)として汚いかもしれないが
俺から何も言わず“いきなりこうなった”、
みたいな結論にたどり着いても面白くないからね(・∀・)

俺と「他のものと比べてこちらがいい」、
第三者的な目線ではなく
俺と「自分が同じ考え方であるから」、
それを選んだ(偶然であった)という見方は幼稚

その結果
成功すれば金の無い、権力や学歴の無い奴が自分を外に出せない僻みと捉えられ
非難されれば結局俺のせいになる

出来ないと分かりきっている事を薦めた時に
チャンスとして生かせる奴が本物であるから
自分をチャンス、踏み台にされたくないという考え方で見られてるのかと

つまり
あくまでも「ライバル」関係であり
意識もしていないのに同じラインに立たされてたって訳ね
 

弱点を晒しておきながら平然としているのは
そうした自分を受け入れて貰おうという体勢であって
それを越しても認められる自信があるからだと、
「越していける強さ」を見せ付けているようだ

とは理解しているものの
自身が強くならなくても優位であればいい、
「相手の力を利用して勝つ」
というのが現世の人間が女性的な発想、
「護身術である」という事に迷いが感じられるね(・∀・)

結局はいかに理想を保ちつつ
他との差を威圧的に見せられるかである

折角の自由があるのだから
それをどれだけ上手く活かせるかが格好いい生き方
環境に慣れるより環境を作る
環境さえ整えば幅を利かせられるのに
そこで逃げ出す奴はただの馬鹿

多くの人の根本的感覚を自身に合わせる必要がある
規制が少なく、利用者層が限定される
ネットという手軽な情報発信ツールで
個人でも数さえこなせば流れを作る事が出来る
それが個人の主軸であるから
勢力、権力がないという事を言い訳にさせない

独りでこなしてきた事が他の目に触れて
数が増えたら思惑通りだけど
その数の中に紛れこんで逆走するのが争いの原因になったりしてね

自身と同じスペース(感覚)が増えて
重なる点が多くなればなるほど幅を利かせ易くなるが
「同じではないのに重なれば総て我が物」となると
それは他所への侵略である
同じ事をしているのが必ずしも自分だけではないからね

つまり、元の感覚には戻れないのか
人は何かしら
「自身にメリットがある」と知れば
一般論と外れていても
ある程度の事は受け入れられる

「一般論と外れた内容」と、「そのメリット」と、
どちらが優勢(優位)であるかが駆け引きなんだろうな

欲するものが必ずしも金銭に関わる事とは思えないし
その為に利用されるなら外れた上策も上回るだろうね

承諾した時点で互いに認め合って(見下しあって)いるから
互いより更に大きく切り取ろうと、
その幅が広がっていくのかな
P R